航空技術者たちが基礎を築いたメーカー
三樹書房より三菱自動車の創業から環境にやさしい電気自動車までをカラーカタログでふりかえるすばらしい本が発行されておりました。この一冊があれば三菱の歴史や商材が一覧できます。私も含め三菱フリークにはたまらない一冊ですね。
2010年4月25日三樹書房発行 ¥2800 カラー184ページ
三樹書房より三菱自動車の創業から環境にやさしい電気自動車までをカラーカタログでふりかえるすばらしい本が発行されておりました。この一冊があれば三菱の歴史や商材が一覧できます。私も含め三菱フリークにはたまらない一冊ですね。
2010年4月25日三樹書房発行 ¥2800 カラー184ページ
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久しぶりの投稿でした。元三菱商事自動車部鈴木富司氏の自動車輸出物語の続編にロッキングトラック(木材運搬車)の物語が掲載され、うれしく又なつかしく読ませていただきました。当時(昭和45年頃)小生も単身赴任にてジャカルタに駐在し、木材部の人達と同じ宿舎に寝起きしておりました。木材部の人達は、現地(ボルネオ島)にてラワン材を伐採し日本へ輸出の為1ヶ月間働き、そしてジャカルタやシンガポールにて2ヶ月間休養し、そのローテーションの繰返しとの事でした。それにしても彼等の仕事場の環境は劣悪で大変なんですねーと聞き流すだけのように記憶しております。なにせその宿舎には自動車関係は私だけでしたのでずいぶん肩身の狭い思いをしたように記憶しております。よそ事のことと思っていた小生にもとんでもない難題が降りかかってきました。まだまだ自動車プロジェクトが忙しくない頃のことでした。というのも当時の現場の足は三菱JEEPのみ走行可能というジャングル地帯でしたのでパーツの消耗が激しくタイヤやバッテリー等の補修パーツは日本からの空送でした。ジャカルタまでは問題ないのですが、そこからボルネオ島のバリックパパンに送っても途中で消えてしまい現地には空箱が到着するという笑い話にもならない事が日常茶飯事でした。本業の自動車組み立て用CKD部品も盗難が多く、しかも狙われるのは、オルタネーターやセルモーター等の高額部品でしたが、まだ1台も市場に出ていない車の部品を盗ってもしかたないと思ったのですが、なんと堂々とドロボーの手下どもが輸入元に売りにくるという大胆さにはびっくりしました。なにせ相手はコソドロではなく組織化された武装グループでした。組立て現場としては、部品がほしい、そして1台でも完成させて出来立ての販売店に出荷したいと思っていましたが、自動車輸出物語の主人公というべき当時の現地責任者の故中村敬止氏が買取りを認めず、現地スタッフ共々搾り出した知恵がドロボーの親玉と交渉することでした。結果ドロボーの親玉に話をつけ、勿論 Give and Take でしたが、関係する貨物に特殊マーク(?)をつけ、その貨物には手をつけないという防護策を講じ、その後ピタリと盗難がなくなったこと、思い出しました。これが当時のインドネシアの当たり前の状況でしたが、勿論、今はそんなことはないと思いますが。まったくの笑い話ですね、でも当時は誰もが真剣でした。
ジャカルタの工場(BENZ)前にて現地スタッフと記念撮影(左端が小生、1972年当時)
自動車輸出物語。。。いろいろと昔の事を思い出させてくれます。うれしい限りです。
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今年も行ってきましたAMPA2010,海外の各取引先と一度に逢えて商談も兼ね、年に一度の見本市です。年々盛んになるASIA最大の自動車部品、用品、整備関係の見本市。昨年より更に盛大になっておりました。暗い話ばかりの国内業界に比べ、とにかく勢いのあるASIAメーカーの集まりです。この10年で逆転してしまいましたね。この見本市に、なんと海外(欧州や米国等)バイヤーの多い事。年々増加していますね。ひと昔前の低品質やコピー品を卒業して、純正品並の品質は、いまや米国市場、欧州市場の日本車を含む補修品マーケットに受け入れられ、完全にお株を奪われた感じですね。ほとんどの自動車部品や用品が揃う見本市です。とにかく勢いがありますね。弊ショップもTAIWANとの取引も20年になります。いまでは売るより買いのほうが圧倒的に多いですね。弊社の台北代理店のOFFICEの立派な事、取引を始めた頃は、ほったて小屋(?)だったのですが、うらやましいかぎりです。
すでに国産車にもたくさんの海外製部品が採用されていますね。その内デザイン以外は、みんな海外製部品なんていう時代がくるんでしようか。
昨年より開催されている新見本市会場
広い駐車場は満杯状態
初日会場内部の様子です。
商談中の弊代理店とスタッフ
会場での昼食、そして夜は!!
食べきれないほどの海鮮料理でした。
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三菱自動車が、100%子会社でモータースポーツ関連事業会社「ラリーアート」の業務を今月末で終了することが9日、明らかになった。三菱自は、自動車のオフロード競技「ダカール・ラリー(通称パリ・ダカ)」と、世界ラリー選手権(WRC)から撤退しており、モータースポーツ関連事業の縮小を一段と加速する。「ラリーアート」は三菱自のモータースポーツ活動支援などを行っているが、ここ数年、売り上げ不振で赤字が続いていた。ブランド名は残す方針だ。(2010年3月10日 読売新聞朝刊より)
1984年の創業以来長年にわたりお世話になっておりましたRALLIART社が業務縮小との記事。先月のRVR新型車の発売と三菱にとっては明るい兆しも見えはじめ、とりあえずデモカー1台をと発注したのも、ついこの間の事。国内よりもいまや海外の有名ブランドになったRALLIART。縮小とはいえ残念ですね。いつの日か復活を期待するのみです。
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アクアギャランさんの最新ブログ見ました。凄いですね。1970年に創業したP.T.Krama Yudah Tiga Berlian Motor(略称K.T.B.社)社にて発売開始したミツビシコルトT100(国内名初代デリカ)以来40年間も商用車市場の首位を維持し続け、そのシェアが60%に達したとの事。うれしいですねと同時に懐かしいです。K.T.B.社の前進P.T.NEW MARWA MOTORを立ち上げ インドネシア陸軍の工場にてJeepを組立てBenzの工場ではデリカを組立て、SurabayaではFusoを組立て、間借り商売の三菱がその後40年もの間、首位キープとの事、凄すぎますね。当時は、トヨタ、ニッサン、イスズ先行そして三菱は出遅れ、自前の工場を持てない三菱は苦労のしっぱなしだったな~と思い出します。それにしても、もう40年以上も過ぎたんですね。すでに歴史のひとコマとして、立ち上がり時に携わった一人としてうれしいかぎりです。そんな三菱自動車そして三菱商事のグループ力を国内市場にも期待したいですね。
それにしてもアクアギャランさんの最新情報には、いつも感激させられます。
下記の画像は、排気量をアップしたT120型です。その後ミニバン型のL300型に変わり飛躍的に拡大し1000台ラインオフの記念プレートです。

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