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桐島氏死去 ジャカルタ新聞より 2019-11-27

またまた悲しい訃報でした。Indonesia三菱の前身 New Marwa 1970 Motor社の立ち上げ時、当時の三菱商事の駐在員が公私にわたりお世話になった日本人でした。
軍事政権のIndonesiaにて新規に自動車事業の立ち上げは、当特、官憲がらみの障害が多く現地駐在員や三菱商事ジャカルタ支店では解消できず、いつも理不尽な問題にぶつかっておりました。記憶はさだかではありませんが、当時ジャカルタ支店副支店長の故村上さんという方がおられ、この方の経歴を聞いて敬服しました。と言うのもジャカルタ駐屯の旧日本軍将校であり、終戦後、帰国せず、インドネシア独立戦争に将校としてオランダ相手に前線に立ち、生まれたばかりのインドネシア軍の指揮を取ったそうです。(村上氏は、没後、カリバタ英雄墓地に埋葬されたと聞いております)除隊後、現地に残留し、三菱商事に現地入社された方と聞いておりました。たしかその方より、桐島さんの事をお聞きし、当時、現地責任者の故中村氏と意気投合し、仕事を進めるうえで大変お世話になりました。彼の幅広いインドネシアの人脈にはお世話になりました。特に官憲がらみの問題は、桐島氏に相談するようになり、また解決していただきました。
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桐島氏

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現在の最新工場

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創業時の組立工場

小生のインドネシア駐在時(1969~1975)桐島氏と思い出は書き尽くせぬほどありますが、中でも強烈に印象の残っているエピソードを記したいと思います。
当時、三菱水島工場よりデリカT120のCKDパーツを200台分ワンロットにて輸入しておりましたが、ジャカルタの港(タンジュンプリオーク)に船が入港しても、なかなか通関出来ず、組立工場を遊ばせておくような状況が続いておりました。故中村氏からは、毎回怒られておりました。当時現地社員以外は故中村氏と小生一人であり、すべて初めて経験する事ばかりでした。いろいろな事がありましたが、やっとの事で通関ができても、領収書の貰えぬ費用(?)が多々あり、やっとCKDパーツが届いても高額品のパーツ(オルタネータ、スターターやヘッドランプ等)が盗難にあっており、車が完成出来ない状況でした。しかもインドネシアスタイルといいますか、当時のインドネシアは治安が悪く、組織的に武装した盗難が多く、しかも平気で、それを現地の会社に売込みに来ました。小生は買取して、少しでも早く組立工場に送り車を完成させたかったのですが、故中村氏は拒絶し絶対買い取ってはならぬの一言でした。かと言って何百個のオルタネーター等を空送にて入手する事は不可能であり、しかも販売は好調で新設の販売店からは予約にて受注しており、新会社の営業部門からは毎日のように催促がされ、頭を抱えておりました。そんな時に故桐島氏に相談したところ、彼の人脈にて港のどろぼうの親玉を探していただき、直談判にて交渉をいたしました。その結果、三菱マークの付いた貨物に特殊マークを付けることになりました。勿論Give and takeですが、その後ピタット盗難はなくなり、CKDパーツも順調に入荷するようになりました。いまでは独自開発や国内と遜色ない一貫生産工場まであり、三菱の海外重要拠点に成長の事です。創業時の三菱商事社員は勿論のこと、社外の沢山の協力者の中でも、故桐島氏の三菱に対する貢献度は語りつくせぬほどたくさんあります。中村氏そして桐島氏の間には絶対的信頼関係があり、仕えるものとして、うらやましい限りでした。その後の活躍を見ても素晴らしかった人物であったと記憶しております。
訃報をお聞きし、半世紀前の出来事ですが、ふと昔の事を思い出しました。

心からお悔やみ申し上げます。

株式会社 シグマ 会長 五十嵐雄次

ジャカルタ新聞 当該記事


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