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インドネシアKTB OB きらきら会 第十話 (最終回) 2014/06/14

スラマットジャラン インドネシア (最終回)

いろいろとありました、5年強の滞在でした。インドネシア三菱自動車生産/販売のプロジェクトの立ち上げ過程の中で知り合った人々、三菱商事、三菱自動車の社員/役員また各製作所の技術者は勿論の事、現地インドネシア人や華人そして国内の三菱販売店社員/技術者、更に国内協力会社の担当者と数えきれない人達と知り合いました。その中でも強烈に印象に残り、中には現在でもお付き合いさせていただいている方もたくさんおります。もう35年前(昭和45年~51年)の出来事です。すばらしい人達の思い出そして人物像を記載したいと思います。
やはりなんといっても、大ボスの中村さんそして子ボスの吉田さんですね。大ボスは、その後、本社に戻りMirage発売と同時に商事自販を全国に作り(カープラザ)、初代の社長に就任しました。退任後は、三菱商事常務取締役として活躍し、当時、次の次の三菱商事社長として期待されたのですが、残念ながら半ば途中に病に倒れ帰らぬ人となりました。とにかく頭の切れる強烈な個性の持ち主でした。

当時こんな事がありました。(昭和45年頃)単身赴任にてジャカルタに駐在し、木材部の人達と同じ宿舎に寝起きしておりました。木材部の人達は、現地(ボルネオ島)にてラワン材を伐採し日本へ輸出の為1ヶ月間働き、そしてジャカルタやシンガポールにて休養し、そのローテーションの繰返しでした。それにしても彼等の仕事場の環境は劣悪で大変なんですねー と聞き流すだけのように記憶しております。なにせその宿舎には自動車関係は私だけでしたのでずいぶん肩身の狭い思いをしたように記憶しております。よそごとの事と思っていた私にも、とんでもない初仕事と難題が降りかかってきました。まだまだ自動車プロジェクトが忙しくない頃のことでした。というのも当時の木材伐採現場の足は4輪駆動の三菱Jeepのみ走行可能というボルネオ島のジャングル地帯でしたのでパーツの消耗が激しくタイヤやバッテリー等の補修パーツは日本からの空送でした。ジャカルタまでは問題ないのですが、そこからボルネオ島のバリックパパンに送っても途中で消えてしまい現地には空箱が到着するという笑い話にもならない事が日常茶飯事でした。本業の自動車組み立て用CKD部品も盗難が多く、しかも狙われるのは、オルタネーター、セルモーター、ヘッドランプやハンドル等の高額部品でした。まだ1台も市場に出ていない車の部品を盗ってもしかたないと思ったのですが、なんと堂々とドロボーの手下どもが輸入元に売りにくるという大胆さにはびっくりしました。なにせ相手はコソドロではなく税関とグルになった組織化された武装グループでした。組立て現場としては、部品がほしい、そして1台でも完成させて出来立ての販売店に出荷したいと思っていましたが、現地責任者の中村ボスが一切買戻しを認めず、欠品分は日本より空送手配を指示され、そして何か知恵を出せとの一点張りでした。当時、商事側の人間はボスと私のみでしたので、すべてのトラブルは私が聞かざるを得ませんでした。とにかく解決しろとの事であり、現地スタッフ共々搾り出した知恵がドロボーの親玉と交渉することでした。命がけの交渉でした。結果ドロボーの親玉に話をつけ、勿論 Give and Take でしたが、関係する貨物に特殊マークをつけ、その貨物には手をつけないという防護策を講じ、その後ピタリと盗難がなくなりました。当時ジャカルタにて活躍されていた「ムルディカ新聞の霧島さん」(得体のしれない日本人でしたが、深田祐介作の小説「神鷲商人」にも登場する政商でした)と知り合い泥棒の親玉を調べてもらいました。その後、霧島さんには仕事の事ではたいへんお世話になり、特に官憲がらみの仕事では、いつも知恵を授けていただきました。赴任早々は何か試されているようなディールが多かったと記憶しております。そして大ボスの下で考えさせられ教えられた事は、その後の人生において何事にも代えがたい宝物になりました。
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左から小生 中村ボス  (中村常務退任送別会)

子ボス 3番目に赴任してきた吉田さんは家柄も良い防大出身のバリバリの商社マンでした。私とは経歴も文化も違い赴任早々から衝突しておりました。販売店候補の調査では、いつも一緒であり、ほとんどのインドネシアの都市そして田舎にも足を運び営業部長のグネービーさんと3人で廻っておりました。大ボスの次に中味の濃い付き合いをさせていただきましたが、議論がヒートすると、かならず旧軍魂の精神論になる事には閉口しました。インドネシア駐在終了後は本社自動車部の中に自動車用品部を立上げ、そのボスとして活躍されました。その後再度のインドネシア勤務になり更に豪州三菱の立上げに尽力され三菱商事退社後はオートバックス社の役員になり、つい最近まで顧問を務められ現在も関連会社の役員をされており現在も年に1~2度は家族ぐるみにて温泉旅行等を楽しみ、旧交を温めさせていただいております。
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デモカー(T100)と一緒に吉田氏、営業部長のグネイビー氏と販売店探しの途中のスナップです。
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どこか忘れましたが海に遊びに行った時のスナップです。左の人物が営業部長のMr.グネイビー(後のKTB社の社長)です。
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三菱商事OB 吉田氏 弊社来社時、私のディスクにて撮影
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現在のインドネシアKTB本社

昨年の7月以来、記憶をたよりに記載してきました「インドネシアKTB OB きらきら会」も十話にて終了させていただきます。長い間ご愛読ありがとうございました。

株式会社シグマ 代表取締役会長 五十嵐雄次

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