自動車輸出物語 失敗したプロジェクト編
久しぶりの投稿でした。元三菱商事自動車部鈴木富司氏の自動車輸出物語の続編にロッキングトラック(木材運搬車)の物語が掲載され、うれしく又なつかしく読ませていただきました。当時(昭和45年頃)小生も単身赴任にてジャカルタに駐在し、木材部の人達と同じ宿舎に寝起きしておりました。木材部の人達は、現地(ボルネオ島)にてラワン材を伐採し日本へ輸出の為1ヶ月間働き、そしてジャカルタやシンガポールにて2ヶ月間休養し、そのローテーションの繰返しとの事でした。それにしても彼等の仕事場の環境は劣悪で大変なんですねーと聞き流すだけのように記憶しております。なにせその宿舎には自動車関係は私だけでしたのでずいぶん肩身の狭い思いをしたように記憶しております。よそ事のことと思っていた小生にもとんでもない難題が降りかかってきました。まだまだ自動車プロジェクトが忙しくない頃のことでした。というのも当時の現場の足は三菱JEEPのみ走行可能というジャングル地帯でしたのでパーツの消耗が激しくタイヤやバッテリー等の補修パーツは日本からの空送でした。ジャカルタまでは問題ないのですが、そこからボルネオ島のバリックパパンに送っても途中で消えてしまい現地には空箱が到着するという笑い話にもならない事が日常茶飯事でした。本業の自動車組み立て用CKD部品も盗難が多く、しかも狙われるのは、オルタネーターやセルモーター等の高額部品でしたが、まだ1台も市場に出ていない車の部品を盗ってもしかたないと思ったのですが、なんと堂々とドロボーの手下どもが輸入元に売りにくるという大胆さにはびっくりしました。なにせ相手はコソドロではなく組織化された武装グループでした。組立て現場としては、部品がほしい、そして1台でも完成させて出来立ての販売店に出荷したいと思っていましたが、自動車輸出物語の主人公というべき当時の現地責任者の故中村敬止氏が買取りを認めず、現地スタッフ共々搾り出した知恵がドロボーの親玉と交渉することでした。結果ドロボーの親玉に話をつけ、勿論 Give and Take でしたが、関係する貨物に特殊マーク(?)をつけ、その貨物には手をつけないという防護策を講じ、その後ピタリと盗難がなくなったこと、思い出しました。これが当時のインドネシアの当たり前の状況でしたが、勿論、今はそんなことはないと思いますが。まったくの笑い話ですね、でも当時は誰もが真剣でした。
ジャカルタの工場(BENZ)前にて現地スタッフと記念撮影(左端が小生、1972年当時)
自動車輸出物語。。。いろいろと昔の事を思い出させてくれます。うれしい限りです。
