お墓まいりに行ってきました。 17 Aug 08
今年の夏休みは、家内そして愛犬マロンといっしょに、お墓参りに行ってきました。田舎の両親、家内の両親、そしてお世話になった上司のお墓まいりでした。お墓も山形、川崎、東京と、離れており、今回も2泊のドライブでしたが、幸い逆方向なので、渋滞にもさほど遭わず、苦にもならない旅でした。足は、すでに15万キロ走行のプラウディアC3(GDIV8/4.5L)ですが、現役でなお平均燃費が7.5キロとすばらしい性能を維持しており、長距離ドライブには最高の車です。
東京世田谷の馬事公苑の近くに実相院というお寺がありあります。鬱蒼とした木々の中に囲まれた静かな寺院です。この寺院の中に小生、三菱商事在籍中に公私にわたりお世話になった上司 故中村敬止氏 そして、その奥様のお墓があります。もう鬼籍に入られ7年になります。20代後半の輝いていた時期に、直属の部下として、めぐり合い、おつかえしたのは、わずか5年たらずでしたが、小生の人生感を根本的変え、その後の生き様まで、教えてくれたような気がしてなりません。いくたの海外市場での自動車工場を立ち上げ、販売網を作り、その司令塔として、常に最前線に立ち、また中村学校として、いくたの有能な人材を国内外に育て、帰国後は、国内販売網の新規立ち上げ等に奔走し、三菱商事常務取締役として、これからという時に病に倒れてしまいました。小生がつかえた時期は、インドネシア市場の立ち上げの時期でした。ベンツ工場の片隅に間借りし、当時のデリカT100や、JEEP、FUSOT650の組立てから始まり、わずか5年で、トップシェアを達成し、いまでは、三菱自動車の中でも、1、2番の海外の稼ぎ頭と聞いております。また広告宣伝にも抜群の閃きがあり、小生の大好きな女優 吉永小百合さんのカレンダーを作成し、またたくまに全インドネシアのレストラン等に掛けられ、後発の三菱車販売の強力なツールになった事、強烈に記憶しております。またモータースポーツにも造詣が深く、少しは国内で経験があった小生も、おだてられ、当時欧州車一辺倒の市場に、三菱COLT 11Fスーパースポーツ(A82型)にて、当時のインドネシアローカルラリーに日本車そして日本人として初めて参戦し完走した事等を楽しい思い出として記憶しております。当初は同じ宿舎に寝起きし、上司そして部下一人の為、何でもこなさなければならず、当時では当たり前の24時間勤務以上でしたが、それでも常に怒られぱなしで、誉められた事など一度もなかったように記憶しております。高度成長期に同じ時間を過ごした故人との貴重な思い出です。また当時では珍しかった全寮制の自動車整備学校を現地スマランに作り、全インドネシアから優秀な若者を集め、育った人材は数え切れず、インドネシア自動車工業会の会長を輩出し、いまでは現地KTB社や販売店の重責とお聞きしております。また部内では育った人材は数え切れず、現三菱自動車工業の社長や重役等も輩出しております。そんなすばらしい人物とめぐり逢えた小生には、墓場まで持っていく、かけがえのない思い出です。弊社の前身(有)シグマ通商を昭和53年に設立したのも、故人のアドバイスでした。教えいただいた所期奉公、処事光明、立業貿易 の三網領を常に頭の片隅に置き、それから30年、小生そして株式会社シグマが、いまあるのも、故人の教えの延長にあると確信しております。また来年のお盆にも、お墓参りに行き、墓前にて、その後の一年を、ご報告したいと思います。
株式会社シグマ 代表取締役 五十嵐 雄次
故中村氏については、元三菱商事 鈴木富司氏が自動車輸出物語に詳しく掲載しております。
まぐまぐ自動車輸出物語
HP自動車輸出物語
画像 左から 小生 故中村敬止氏 鈴木富司氏(自動車輸出物語 みんなで燃えた昔を語ろうの著者)
昭和45年頃、販売店調査の途中にて。 左 元三菱商事 吉田治邦氏(現オートバックス顧問) 右 小生
疲れた時いつも癒してくれる愛犬マロンです。
